“ コウノドリ #04 ” TBS-Fri-22

随分見ていなかったけどようやく見れたコウノドリ4回。
もう前回がどんなのだったか…。
なので早速OPから。

 

今回は若き女医下屋先生が担当の妊婦が、妊娠21週目で破水をしたという所から。これがどういうことなのかよく分からないが、OP明け切迫流産だと分かったのだ。

 

因みにこの切迫流産、聞くにかなり大変な事態のようだ。21週目で体重400g、生まれてくる時は2500から3000gというのを考えればまだまだだと推測できる。
さらに24週目まで持ちこたえて500g、これで産んだとしても重い障害が残るというのだ。


いやはや、やはり出産というのは大変なものだ。

 

これがどれくらいの確率で起こってしまうのかは分からないが、「出産はそれだけで奇跡」という言葉は伊達じゃない。

 

さて、この事態を妊婦は流産か出産かを選ばなければならない。さらに流産を希望する場合、法律で認められるのは21週目までらしい。つまりは今週中。
この辺りのギリギリ感は狙ってのことだろうがドラマ的にはいいタイミングだ。

 

そしてこの妊婦と夫は、早々に出産を決意する。確かに親としては流産するとは選べないだろう。だがそれは生まれてきた後の事をどこまで覚悟を持って考えることができているのか?という疑問が医者の立場からはあるようだ。現に健康状態が悪いまま生まれてきた赤ん坊を診る所には生まれてから面会に来なくなるという事態も起こっているらしい。


この辺りは素晴らしく現実を描いている。

出来ればそういう親をフューチャーして1話くらい作って欲しい。

 

…少し時間が経って22週目。
だが妊婦にとってはまだ22週目、一日中ベッドの上で絶対安静で毎日を過ごさなければならない。これは思う以上に過酷だろう。知らずと愚痴も増えるし、目の前の下屋先生にもあたっている。しかしそれもあるだろう。

 

そんな中、患者の親がやって来た。結婚以来会っていなかったらしくこれにより妊婦の意識も少し前向きになった。
まーこの辺りはドラマ的にはどっちでもいい所かな。

 

トカ言ってたら陣痛が始まってしまった。しかしまだ23周目。つまりは産めない。なので下屋先生は早期の帝王切開をしようとするが、鴻鳥先生に止められる。ここで優先すべきは胎児ではなく母体なのだと。
早期の帝王切開はとてもリスキーでたとえそれで生まれてきたとしても子供に障害が残る。

 

つまりは子供を諦めるか、母体のリスクを背負って子供を助けるか?

 

そんな選択なのだろう。

だが患者夫婦が選んだのはやはり後者。帝王切開での出産だった。因みに鴻鳥先生はまたもやピアノの演奏会前にて中止になったのか…聞きに来てる人毎度毎度可哀想だな^^;

 

生まれてきた男の子、本物ではないがメッチャ小さい…赤ん坊のミイラみたいだった。あんなに小さくて育つのか、いや、生きているのかと思うのが一般的だろう。

 

今回はどちらの選択が正解だったか、そんなことを問いかける回だった。だが鴻鳥先生曰く正解はない。

 

出産は結果だ。

 

この言葉が私には響いた。悪い言い方をすれば「好きにすればいい」となるが、
医者には正確な情報を伝えるだけなのだと。選ぶのは患者であると。

 

出産にかぎらず、全てはそういうことなのだと。そう感じた。だがそれに伴い生まれてくる子供にはその選択権がない。当たり前だが。

だからこそ生まれてくる子供に対し親は相当の覚悟を持って産み育てなければならないのだ。

 

いやー、やはり医療モノドラマは色々考えさせられるね。